大学病院にて
一旦家に戻り、ベッドの空きを待つことになりました。
幸いその週のうちに空きが出来て、再び大学病院へ。
2000年1月14日。
3度目の入院です。
最初の数日は、正に検査三昧。
入院したのは皮膚科ですが、受けた科は、第一〜第三内科、整形外科、循環器外科、循環器内科・・・
一通りの検査が終わり、やっと落ち着いてきた入院10日頃、私は原因不明の高熱を出してしまいました。
夜中にいきなり吐き気を感じ、朝方には40℃。
熱は数日で引きましたが、これが引き金になり病状が一気に悪化。両足にあった潰瘍が、倍の大きさになってしまいました。
この時点で、当初予定されていた8週間の入院期間は、否応なく延びていきました。
治療方法の見直しと、検査結果を聞くために、病棟医長と担当医に話を伺いました。
私の病気は、現段階で原因がわからない事。原因がわからない以上、治療方法も確立されてはいず、完治の可能性はない事。
治療方針として、現在出ている潰瘍の治療、その後薬による再発の予防。
予測はしていたものの、さすがにショックを受けた私の、その時の様子はかなり怪しかったようです。
その日は、看護婦さんが入れ替わり立ち替わり、様子を見に来ていました。
検査の結果、その原因はわからないものの、やはり抹消の血管に血栓があったそうです。そのため、内服薬と点滴で、
血管の拡張と循環をよくする薬を使う事になりました。 24時間、シリンダーで1ml/1hの量の薬を点滴します。
車椅子に機械をくっつけて、何処から見ても病人です。
入院当初より潰瘍が大きくなったせいもあり、回復は思うように進みませんでした。多分、回復が遅いのは、精神的な面も大きかったと思います。
私は、遠く大学病院に入院するために仕事も失い、それでも、何としても病気を治してやりたいことがあったのです。
その可能性もないとわかり、病気に向かい合う気力を失ってしまいました。
それでも時間は過ぎていきます。入院という、何もする事がない環境は時間を持て余して、考えてばかりです。
それも、自分ひとりでぐるぐると同じ考えに陥りやすいのです。
どうせ何をしても治らないという諦めが、私の心を支配し始めていました。
何日も費やして、やっとそれでも治さなければ、と思えるようになってきました。私には待ってくれている人がいる。まずはこの状況を打破しなくては。
私は、担当医にもっと積極的な治療の検討をお願いしました。
大学病院に来る二ヶ月ほど前から、プレドニンという薬を内服していました。合成副腎皮質ホルモン剤、ステロイドです。
この薬は、抗炎症剤としてすばらしい効果のある薬ですが、同時に沢山の副作用があります。ムーンフェイスという、
首から上が浮腫んで丸くなるといった外見上の副作用。糖尿病や骨粗しょう症、免疫力の低下、精神的な躁鬱、食欲の増減、
白内障・緑内障の心配、胃潰瘍、高脂血症・・・など、副作用のデパートと言われているほどです。
この時点で一日30mg服用していましたが、効果は確認されているものの、充分ではないとのことで、増量する話が出ていました。
プレドニンという薬は、様子を見ながら少しづつ増やしても、効果が期待できないそうです。それで、内服量を倍にする方法と、
点滴で大量に使用する方法の二通りが考えられました。
しかし、前記のとおり副作用の心配もあり、内科では抗がん剤の使用も提案されていたそうです。
結局、抗がん剤の危険性や、内服よりは副作用が軽減されるという事で、プレドニンを点滴で投入することになりました。
3日間大量注入し、4日休む(60mg内服)という一週間のスパンを繰り返す、
パルスという治療方法が取られました。
免疫力がかなり低下するので、大部屋から個室に移りました。人と接するのを制限するためです。そのため、病室から出ることは禁止。面会は出来るものの、入室者には消毒をしてもらいます。
この間に、深刻な感染症に罹らないように、結核とカリニ肺炎の予防薬も内服していました。正に薬漬けです。
毎日の点滴。強い薬を使うゆえの副作用を押さえるために、更に大量の内服薬。処置時の見学の学生の多さ、手探りの治療など、
モルモットにされているという印象は常にありました。
それでも、治るなら。治りさえすれば、なんだってかまわない。
そう思いながら耐えていました。
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