ターニングポイント

 私は、自分の中にあるネガティブな部分を表に出す事は、あまりありません。本当に近しい人以外の、私に対するイメージは、 ある程度決まっているようです。
 しっかりしてる。
 いつも明るくて、元気。
 仕事をソツなくこなす人。
 健康そうに見える外見。
 私は無意識に、周囲から期待されている自分になってしまうようです。勉強もソコソコ出来て、先生に逆らわないイイコ。 職場では、望まれる以上の仕事をこなし、笑顔を絶やさない。RACでは、キャリアに相応しい知識と行動。
 実際の私は、他力本願で自分に甘く、だらしない性格。八方美人のクセに注意力に欠けて、考えの甘さから、人を傷つけてしまう事もしばしば。 そんなギャップに、自分自身が辛くなってきた頃、病気になりました。
 今思うと、そこまで思いつめなくても、と思えるのですが、その頃はそんな余裕は全くありませんでした。
 誰も本当の私を知らない。イイコを止めたら、どうなるんだろう。
 自分という存在を全て否定されていると、真剣に感じていたのです。

 そんな私を変えるきっかけになったのは、ある大事な人の言葉でした。
 「病気であるという事実も含めて、全てがえみ自身なんだよ」
 私はそれまで、病気はどこか外からやってきた異質なモノ、自分に入り込んできた邪魔な存在だと思っていました。
 そうじゃない。
 病気の辛さも痛みも、傷跡さえも自分自身。誰よりも私自身が愛してあげなければ。自分を愛せない人間が、他人をも愛せる訳がない。 こうやって、私という存在を丸ごと受け入れてくれる人がいる。
 私は、まだ頑張れる。
 やっとそう思えたのです。

 きっかけになった言葉はもうひとつ。
 「出来ない事を数えるより、出来る事を探したほうがいい」
 あれもできない、これもダメと思うより、あれも出来る、これも出来る。
 私にはまだ出来る事が沢山ありました。努力してもどうにもならない事は、確かに沢山あります。でも、可能性を広げる事は出来るのです。
 叔母の強い勧めもあって、私は住んでいる所から300kmほど離れた、大学病院で診察を受けることにしました。

 2000年1月
 新年の忙しい時期を避けて年休を取り、大学病院へ行きました。
 偶然にも、教授の外来診察日で、看護婦に簡単な問診を受けた後、教授の前に通された時は、珍しい症例のせいか、後ろに学生らしき人が沢山控えていました。
 即答で入院を勧められました。
 「強制は出来ませんが、この先の長いQualityof Lifeのために、ここで数ヶ月入院をして病気を治すことを、強くお勧めします。」
 教授はそう言っていました。
 入院すれば、会社は多分辞めざるを得ないだろう。痛み止めを常に携帯し、必死になって病気を隠し続けて、それでもしがみついてきた職場を失ってしまう。 地元から遠くはなれて、たった一人での入院。でも、それじゃあ何のためにココに来たの?
 しばらく考えて、決心しました。
 入院して徹底的に検査を受けようと。
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