退院後
この病気は、末梢の毛細血管に、原因不明の血栓が出来ます。それによって血行障害が起こった部分が紫斑となり、栄養が届かないので、
皮膚組織が死んでしまうのです。
血行の問題なら、寒い時期のほうが悪化しそうですが、実際には夏がピークです。夏の方が体全体の代謝が活発になり、栄養供給が行き届かないのだそうです。
退院後、しばらくは大人しく自宅療養してましたが、私にそんな事が長続きするはずもありません。
立ち仕事がダメでも何かあるはず、とまたアルバイトを始めました。携帯電話を組み立てるという地味なお仕事をしつつ、就職活動は続けていました。
1996年の夏。
やはりまた紫斑が出始め、潰瘍化しました。入院を勧められつつも仕事を1ヶ月程休んで誤魔化し、外来通院のみで押し切りました。
立ちっぱなし、長時間歩く事、走る事。
立ったり屈んだり、暑い日に外に出る事。
これら全て禁止です。
元来じっとしていられない私にとって、かなりきついのが本音です。
仕事は続けたい。18の頃からずっと続けていた、RACという某団体(非宗教)でも中心になりつつありました。
あちこちに手を抜けないまま、自分の体を騙しつつ、新しい職場を見つけました。某通信系の会社で、電話窓口のオペレータという仕事です。
1997年2月。
春の移動シーズンに繁忙期を迎えるこの仕事は、正直言ってかなりきついものでした。
座学で業務の基礎知識、発声と電話応対マナー、ロールプレイングによる訓練、先輩の隣で見学(聞学?)隣にサポートをつけてもらっての実際の応対までに、
3週間を要しました。それでも本来の訓練の半分だそうです。
大変ではあったけれど、とてもやりがいのある仕事でもあり、忙しくても楽しい毎日でした。努力を認めてもらえたのか、契約期間が一ヶ月延び、
更に関連会社の仕事を紹介してもらいました。大喜びで勤め始めましたが、その職場には大きな問題がありました。
クーラーがなかったのです。
北海道は夏が短いせいか、クーラーのない職場はザラにあります。個人住宅の普及率は半分くらいでしょうか(調べてません)
でも、ここは北海道でも夏はかなり気温が高くなります。6月くらいは全国でも最高気温だと、毎年ニュースになるほどです。
運悪く、その年は記録的な猛暑で、オフィス内は38℃にはなってたでしょうか。ただでさえ端末が多いので、
放射熱も手伝ってかなりのものでした。
そんな中、またしても発症してしまったのです。
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